↑ 1978年嘉手納l基地R/W23に着陸する63d MAWのC-141A /65-9397
65-0264
66-0128
↑ 1977年横田l基地R/W18に着陸する63d MAWのC-141/66-0128。1981年真冬の南極マクムード基地に最初に降り立つことを成功した機体らしい。1966年会計年度発注の3号機で有るが、そのひとつ前の66-0127は、1967年ベトナムのカムラン・ベイでスポイラーの故障から離陸時にスピードが上がらず海に落ちて、7名が亡くなった。
66-0136
↑ 1979年嘉手納基地R/W23に着陸するC-141A/66-0136
65-0255
↑ 1976年横田l基地R/W18に着陸する62d MAWのC-141/65-0255
65-0259
↑ 1978年嘉手納l基地R/W05に着陸する60th MAWのC-141A /65-0259
65-0263
↑ 1976年横田l基地R/W18に着陸する62d MAWのC-141A /65-0263
65-9397
65-9410
↑ 1978年横田基地R/W18に着陸する62nd MAWのC-141/65-9410
66-0130
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66-0139
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↑ この機体は、B,C型改造後テネシー州空軍のメンフィス基地164th AWで使われた。C型時代は機首に”Beaiestreet Blues"のノーズアートが書かれていた。
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↑ 1980年ネリス空軍l基地に着陸する63d MAWのC-141A /65-9406
C-124グローブマスターⅡの低速ピストンエンジン輸送機の更新として設計されたC-141Aは、空軍の大きな期待を背負ってデビューした。当時の大統領ジョン・F・ケネディが1963年8月23日この輸送機の完成(ロールアウト)を祝し「私たちの国にとって素晴らし瞬間だ」とコメントしている。最終的に285機が納入され、アメリカ空軍が284機、NASAが空中天文台として1機を利用した。兎に角も期待の4発ジェットエンジンの輸送機で、長距離空輸能力とそのスピードを活かした迅速な運用能力で空軍の幅広い空輸要件を満たしたとされる。B/C型も含めれば1965年から2006年までの41年間の間、大きな戦争にも参加し活躍している。ベトナムでは北ベトナムで捕虜になったアメリカ兵の帰還を行い”ハノイ・タクシー”と呼ばれ、1975年の南ベトナム共和国のサイゴン陥落時は脱出のアメリカ人の要人やベトナム難民の救出を行った。1983年のベイルートの海兵隊兵舎爆破事件での負傷者の避難などにも使われている。
Wings
↑ 1980年3月ネリスl空軍基地に着陸する62d MAWのC-141/65-0253
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↑ 横田基地のタキシーウェイをR/W18での離陸の向う62th MAWのC-141A/65-0258。前で見学している基地関係者と比較して、機体がそれほど大きく無いことが判る。全長145ft(44m)、全幅160ft(48.8m)で、全長ではほぼ航空自衛隊のC-2輸送機(全長43.9m)と同サイズである。
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↑ 松野氏が福岡空港で撮影された63th MAWのC-141A/66-0136